生とはなに?

    先日からネットで問題になっている、ホラ-作家坂東眞砂子のエッセ-に抗議の嵐が続いている。
    環境省の小池大臣も「動物愛護の面で残念」とコメントを発表している。

    「動物愛護法の担当官庁である環境省は、飼い主のいない野良猫を、「地域猫」と呼び、里親を探すなどの施策をしている。小池環境相は「去勢はかわいそうという観点と思うが、人間や地域との共生をさぐろうというなかで、殺すというのは究極の形」

    生と死に対する概念の違いと言ってしまえばそれまでだが、鳴き声を上げて生まれてくる子を殺したのだ。
    生まれる前の卵のときに殺すのも、生まれてから殺すのも同じ殺すことだとか。
    そうなのだろうか?

    人間は産児制限をする、じゃあそれは自然に反してるんじゃないの?
    避妊去勢をすることが自然に反するのなら、産児制限もまた自然に反することではないのかな?
    「獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。」って・・・そんなことは人間も一緒じゃん、なのに人間は同列に置いていない、それは自分が人間だから?

    愛玩動物として獣を飼うこと自体が人のわがままに根ざしている、と言っている。
    この言葉の意味が解っているのなら、なぜ人間の勝手で愛玩動物にされたかを考えなかったの?
    犬も猫も牛も馬も鶏もみんな人間の勝手というか、人間の役に立つように種を改良されたんじゃないの?
    みんな本来は愛玩動物でもなかったし家畜でもなかった、ではなぜそうなったの?

    人のわがままに根ざした行為なら、なぜその責任を取ってこれ以上不幸な子が増えないようにしないの?
    責任を取れない人が多いから、死ぬために生まれてくる子が存在するんじゃないか!(怒)
    責任の所在を間違えちゃいけない!

    猫が飼い主に甘える根元には、餌をもらえるからということがあると思い、それが生きるための手段だそうだが・・・
    餌を貰わないと生きていけないようにしたのは誰?、野生の猫を人間の役に立つようにと改良したのは誰?
    無理やり食物連鎖の輪の中から猫を抜き出したのは私たち人間、だったら「餌をもらえるから」ではなくて、猫にとっては「餌を貰って当たり前」じゃないの?

    人間の従属物であるがゆえに、その命は自分の思うとおりに出来る、そう思ってるのか?
    残念ながら、彼女には小さくても命あるものという概念は全く無いようだ。

    この人は猫のメスを3匹飼っている。
    1匹が1年に2回交配期が来るとして、年間6回も生まれた子を殺し続けていたことになる。
    親猫の生を全うさせるために子猫を犠牲にする、では生とは何?
    犠牲の上に成り立つ生は生じゃない、生まれた瞬間から生きることを拒否される生は生じゃない。
    なんか観点がずれてる・・・

    今回の日経新聞の対応にもかなりがっかりした。
    直木賞作家だから彼女の言うことが正しいのか?、それとも担当者が動物愛護に無知だったからなのか?
    マスコミの責任は重いと思う、「殺す」ことを主題にしたエッセ-は掲載すべきではない。
    命を軽んずる風潮の昨今、日常的に「ただ誰かを殺したかった」だの、「親に小言を言われたから腹が立って切りつけた」などという言葉が、毎日のようにニュ-スとして飛び交う世の中になってしまっている。
    命を軽んずる風潮の世の中になってしまっているのに、それを助長するようなエッセ-を掲載すべきではない。

    一般の人にはたかが猫かもしれない、しかし猫とはいえども命あるもの、その延長線上にはすべての命あるものが繋がっている。
    自分勝手な理論でむやみに命を奪ってはならない。
    殺伐とした世の中になりつつある現代、その根底には命を軽んずる風潮が蔓延しているような気がしてならないのだが・・・

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